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近年、「発達障害(ADHD・ASD )」は注目されています。
一方で「発達障害ボーダーライン」「知的障害ボーダー 境界知能」は今も注目されず、支援・配慮等の課題が残るのが現状です。
しかし、「境界知能・ボーダー層」でも相談先はあります。
この記事は「境界知能」と診断された方に参考になれば幸いです。
この記事は私が「障害に気づく」記事の最終章なので、興味のない方は見なくても大丈夫です(^^)
診断されてからのある不安
IQ72の不安
診断後の結果に私はある不安が頭をよぎりました。
それは「全IQ72」だったことです。
「全IQ72」で不安が残る理由▼
・知的障害の判断基準はIQ70以下で認定される
・IQ70-75の判断基準は自治体によって異なる。
更に知的障がいのIQの認定基準により、私自身の今後に不安が残ったのです▼
・障害者手帳取得が出来る不安
・取得出来ない場合の今後の不安
・手帳取得出来ない=能力がない
診断されても、上記の不安が払拭出来なかったのです。
普通ならもう少し、早く進んでいたですが、しかし、年明けから再び出張となってしまう……
長期出張続きで3ヶ月ペースでの診断
年明けから再び、北海道の出張が始まる。
年明けから長期出張続きで診断ペースが3ヶ月ペースとなってしまう。
3ヶ月ペースにも理由があった▼
・予定では1月の中旬でしたが、予定変更で3月上旬での延長となった。
・北海道ー大阪間の旅費が高くて、さすがに「障害を隠して」有休を使うことは出来なかった。
私は北海道出張の間に「境界知能」をネットで調べたが、情報が少ない……
何故なら、「知的障害」「境界知能・ボーダー層」は現在でも、メディアであまり注目されずに支援が「発達障害」より、進んでいないのが現状だからです。
ネットでは情報が少ないので、出張先では図書館で「発達障害」・「知的障害」・「就労移行支援」等の本など読んでいた。
しかし、図書館・本屋にも、肝心な「境界知能」「ボーダー層」関連の本が置いていない……
それでも、「発達障害」・「知的障害」・「就労移行支援」関連の本を読んで先を自分なりに考えた。
それでも、先が見えない不安が拭えない。
その後、3月には戻って、1回診断するも、「経過観察」だけで「IQ72」に対する不安が拭えない。
更に埼玉に戻ってから、1週間程で再び、「沖縄」の長期出張に飛ばされてしまう。
再び、図書館で「発達障害」・「就労移行支援」・「知的障害」関連の本を読むの繰り返し。
沖縄での長期出張中は「生命保険の見直し」のことで頭がいっぱいで、「診断後の今後の進路」のことが離れてしまった。
長期出張中、4月下旬には初診日から半年が経過していた。
手帳申請の際、初診日からは半年経過しないと申請が出来ない。
半年経過していたことを気づかずに・・・
でも、気づいても沖縄にいて、手帳取得申請が出来ない・・・
長期出張が続き、先が進まない・・・
その後、沖縄から広島への出張を経て、6月初旬に地元の埼玉に戻った。
6月に戻ってから、3ヶ月振りに大阪にある、「発達障害・メンタル専門のクリニック」で診断した。
診断したが、医師からある紙が渡されて、以下の文章が書いてありました▼
上記の写真の文章を読んだ瞬間、私の中では以下のことが頭の中でよぎりました▼
何?、どういうこと?
当然、頭の中では「?」が出ますよね。
読んで見ると、更にあることが私の頭によぎりました▼
「転院」しなければ、ならないの……
「病院名」も書いていない……また探すのかな…
診断後の先を自分で探さなければならない状態になったのです。
後日、私は地元の「発達障害支援センター」で相談した。
地元の発達障害支援センターで相談
診断後の今後の進路
私は地元の「発達障害支援センター」に自ら、支援員に「相談内容」を話して電話予約した。
予約が7月中旬に連絡した。
「発達障害支援センター」は平日しかやっていないので、私は当然、会社に「婆さんの看病」と言う、嘘の理由で休みをとった。
「一般枠」での職場の場合は会社を休む言い訳を考えなければならない。
当然、上記の「注意点」のように会社に「障害を隠して」有休する言い訳をして、平日に「発達障害支援センター」で相談した。
・「転院」についての相談
・手帳取得申請の相談
・手帳取得後の使い道
上記の相談内容は私と支援員2人で相談した。
親は一緒ではなく、私一人のみです。
・「母子手帳」・「小中学の成績表」を持っている方は相談する際に持参すると確実。
・「診断結果の書類」も持参も必須。
・当事者1人の場合は「自分でわかる範囲」をできるだけ、支援員に話すこと。
・「自分で話せない場合」は親と一緒に相談するのがおすすめ。
私は「自分のわかる範囲」の上で支援員2人と相談した。
支援員のアドバイスで「転院」ではなく、市役所で手帳取得申請を勧められた。
・市役所で手帳取得申請
(手続き申請終了後、支援センターにて電話連絡)
・手帳取得判断の有無
・取得出来ない場合は「発達障害支援センター」で今後の相談をする。
支援員2人と手帳取得申請の相談した時、私はあることに気づいた▼
知的障がい(軽度)の場合、「精神障害者保健福祉手帳」ではなく、「療育手帳」に該当すること
今まで、私は「精神障害者福祉手帳」だと思っていたからだ。
発達障害支援センター相談後、私は市役所へと向かった。
役所で手帳取得申請の相談
「発達障害支援センター」で相談後、市役所の「障がい福祉課」の窓口で担当者と申請の相談をした▼
①本人の困難(日常生活)・(仕事)・(性格)
②生育歴
③療育手帳交付申請書の交付
③手帳取得申請後の日程
・「母子手帳」「小中学の成績表」を持っる方は手帳取得申請の相談の際に持っていくと確実。
・当事者本人だけでいく場合は「本人の困難」を「自分の分かる範囲」で説明する必要がある。
・「自分の分かる範囲」で説明する場合は「自己分析」が必要。
・「本人の困難」を自分で説明出来ないときは親と一緒に行くのがおすすめ。
市役所の「療育手帳取得」の申請の手続き後、地元の「発達障害支援センター」に「申請手続」終了報告を電話で連絡をした。
担当者と相談した結果、以下の予定となった▼
・手帳申請の判定の予定が決まり次第、1-2ヶ月後に担当の方が「母親」の携帯から連絡する予定。
・私(子)と親の相談の上で「県内の総合リハビリステーション」での検査日程を決める。
市と県内の相談リハビリステーションの判定依頼待ちで1-2ヶ月の間、連絡を待つこととなった。
1ヶ月待っても連絡が来ないので、不安になり、何回か「母親」に聞いた。
「判定依頼」から「連絡」までの間、私は不安があったです。
そして、9月上旬頃、市役所の担当から母親に連絡が来た。
申請続きから、1ヶ月半くらい掛かった。
母親からの連絡後、私は親と相談した上で2020年10月27日に「県内の総合リハビリステーション」で判定の検査することを決めた。
会社には「親戚の用事」と嘘の理由で10月27・28日に有休を取った。
当然、「障害」の事実を言えないので嘘をつかざる得なかった。
そして、2020年10月27日、「県内の総合リハビリステーション」での手帳申請による判定の日を迎えた。
判定の日は親(母親・父親)と私(子供)の3人で「県内の総合リハビリステーション」へと向かった。
到着後、「県内の総合リハビリステーション」で市役所の担当者と合流して、同行する予定。
合流後、療育手帳取得申請の判定を行った▼
主な流れ
- 親と子供(私)で心理士と面談 (市の担当者も付き添い)
- 私(子供)はIQ検査を行う。 親は心理士の方と生育歴・性格等を話す。
- 判定待ち
- 手帳取得による判定結果
上記の行程が終わり、判定結果は私は「療育手帳取得」の方向へとなった。
※今回は「私が障害に気づいた過程」なので「療育手帳取得」についての方法は省略。
まとめ「全IQ72(境界知能)」の私でも、療育手帳取得は出来るということ
いかがでしょうか。
全IQ72でも「療育手帳」が取れると言うこと。
「診断」から「取得」まで一定の期間があり、不安は付きものです。
「境界知能」と診断されても、相談先は複数あり、不安になっても落ち込まずに「先のことを考えて」行動することで、新たな「選択」が見えるのです。
今回の記事は私が「大人になってどうやって障害に気づいたのか」の最終章です。