近年、「発達障害」・「ADHD/ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)」・「知的障害」・「発達・知的ボーダー層(境界知能)」が「メディア」・「ネット」で調べて、診断されて、気づくのが多いと思います。
ただ、私の場合は「メディア」・「ネット」だけでなく、障害に気づいた1つの理由があります。
それは、親に「障害の疑い」があると、告げられたのが、私が障害に気づいた1つの理由です。
この記事は私がどのように「障害」に気づいた経緯を書こう。
「発達障害」・「ADHD/ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)」・「知的障害(特に軽度の場合)」・「発達・知的障害ボーダー層・境界知能」の疑いのある方に少しでも参考になれば、幸いです。
※この記事は私が「障害に気づいた」記事なので、興味のない方は見なくても大丈夫です(^^)
「障害」を隠して過ごした、幼稚園から高校時代
幼稚園通う前から、親は「障害の疑い」を知っていた。
私が小さい頃に通ってたのは幼稚園で「普通の児童」扱いでした。
小さい頃なので、当然、「障害」の言葉も知らなくて、何の違和感もなく、幼稚園時代を過ごしてました。
唯一、記憶に残っているのは母親がいなくなると、毎日泣いていたくらいかな。
しかし、幼稚園通う前から親は「障害の疑い」を知っていたのです。
何故なら、母子手帳に以下の事が記載されていたからです▼
以下の通り
・言葉の遅れがある。
・話を聞いているのかどうか分からない。
・「市の障害者の療育センター」の名前が記載されていたから。
当然、上記のことを知らずに幼稚園を卒業するのです。
小学生の時に「特別支援クラス」の存在を知る。
小学校に入学し、小学生生活を迎えるのだが、1年生のうちに3回の転校があり、転校しては「泣く」を3回繰り返す。
転校ばかりで、小学生生活を知らないまま、1年生の半分は過ごしましたが、3回の転校から落ち着き始め、その時に「1年〇組」とは別に「○○組」の特別支援クラスを知った。
私が6歳の頃の1997年の特別支援クラスの生徒は主に身体障害等の目に見える障害を抱えた生徒が多かった。
1990年代頃は今とは違い、「発達障害」「ADHD/ASD自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群」、「ボーダー層」の言葉がなく、当然、上記の「目に見えない障害」の生徒はいなかった。
私は特別支援クラスの生徒の方とは遊んだことはあり、家にもお邪魔したことはある。
ただ、小学6年生まで靴ひもが結べないのは少しおかしいと思うけど…
小学生生活も違和感がなく卒業する。
「勉強できない子」「天然」で済まされてきた。
小学校を卒業し、中学生生活を迎える。
中学の頃から、私の学生時代の人生に変化があった時期だった。
入学して間もなく、何らかの形で「この人、天然で面白い人」と噂が広まり、小学生時代と周りの反応が異なるのです。
自身の感覚は▼
面白い事はやったつもりはないんですけど……
笑かすつもりはありませんでした。
期末テストの成績は悪く、この時、私はある事に気付いたのです。
勉強のできない…… 自分はバカだと
上記のことに気づいたのも、普通よりは遅いと思う。
つまり、今まで自分の事が分からなかったのです。
中学の頃の私は好きな「社会の地理」は勉強するものの、嫌いな「数学」をほとんど勉強しなかった。
今、思うと、中学生の時にある程度「今の自分」と「特性」はあったのです。
以下の通り
・親は私(子供)の「障害」を隠して、私自身、周りから「天然・勉強できない子」で済まされてきた。
・好きなこと・興味のあることしかやらない又はしない(もしくは知らない)
・一つのことに集中する。
・同じクラスの食事会の集まりでは自らしゃべることはなく、浮いた存在になりがち。
以上の理由を「自身の特性」、「障害」だと気づかずに中学生時代が過ぎていった。
親は私に「障害」を隠して、工業高校を勧める。
中学を卒業し、何とか高校に進学することは出来た。
私は普通科の高校ではなく、「工業高校」に進学した。
「工業高校」に進学したのは、私自身ではなく、親が将来の為に勧めたのであった。
理由は普通科の高校より「就職に強い」から。自身の意思ではなかった。
更に親は「障害の疑い」を私(子供)に隠して、自身に勧めたのです。
当然、私は「障害」だと気づく事はなく、順調に高校生活を送った。
今思えば、高校生活で引っかかる部分はあったのです▼
以下の通り
・スパナ・ネジの回す方向が視覚の角度を変える度に分からない。
・高校3年生になると、親がやたらと心配するようになる。
・応用ができない。
当時の私は以上のことをおかしいとは気づく事はなかった。
「問題行動、留年」等なく、そして、高3の就活を迎える。
「障害」を知らずに皆と同じ、横一線での就活。
私が就活した年は2008年。
当時はリーマンショックによる不景気で求人数は少なく、先生がいつも以上に心配をしていた。
私も皆と同じでの「横一線」での就活でした。
私は2社受けましたが、両方、共に落ちました▼
以下の理由
・1社目 遅刻して第一印象を悪くしてしまう。
・2社目 「面接」で落ちてしまう。
その間に他の生徒は次々と「内定」をもらい、卒業までの時間はなく、私は結局、友達での紹介での「縁故入社」となった。
卒業後の進路は確定し、先生も安心して、無事に高校を卒業した。
しかし、当時、私は「障害の疑い」があった事を知ることなく、親は子どもに配慮して、「障害」のことを隠していましたが、子供であった、私は今でも後悔が残っています▼
以下の通り
・「障害」を隠して、皆と横一線での就活。
・「障害」を隠して、普通高校より「就職に有利」だけの理由で工業高校に入ったこと。(自身の意思ではないこと)
今なら、そのまま「就職」ではなく、支援センターに相談・職業訓練などの選択肢はあったと思う。
学生と社会とのギャップに苦しむ。
社会の暗黙のルールがわからない
2010年3月に高校を卒業し、会社に入社する。
社会人として歩みますが、つまずきの連続だったのです▼
・仕事がなかなか覚えられない。 ミスが多い。
・報・連・相が出来ない。分からない。
・1から10まで説明しないと動けない。
上記の仕事以外にもトラブルがあったのです▼
・社会のマナーが分からない。
・抽象的な言葉が理解出来ない。
・上手く相手に言葉が伝えられない。
・上下関係による、対人トラブルが多い。
(人を怒らせてしまう)
・周りに合わせた行動。 空気が読めない。
・他の人より仕事を覚える・吸収が遅い。
仕事出来ない以外にも、「特にコミュニケーション・対人トラブル・暗黙のルール」等により、社会性に劣っていました。
友達の縁故入社と社会性(暗黙のルール)に劣るのが重なり、周りから以下のように言われました▼
・常識がない。 親の育て方が悪い。
・親に甘やかされてきた。
・今まで適当に生きてきた。
・「好きな事」だけやって、「苦手」な事は避けてきた。
・「〇〇工業高校」はバカな奴ばっかりなの?
・「〇〇工業高校」だから、それなりに頭がいいんじゃないの?
上記のことによって、「学歴」・「親の育て方」・「世間知らず」と言われてしまうのです。
つまり、先天性の脳の障害を「親の育て方が悪い」・「常識の知らない子」で片付けられてしまったのです。
※高学歴の発達障害・自閉症スペクトラム/アスペルガー症候群の方は「学歴」・「親の育て方」・「常識のない子」と言われることが多い
私は社会人になってから、「常識・マナー・組織での集団行動」のよる、暗黙のルールが分からない事につまずきました。
更につまずくのです…
コミュニケーション・会話ができない。
社会の「暗黙のルール」に続き、「コミュニケーション・会話」につまづくのです。
私の場合、以下のようにつまづきました▼
・「単語」ばかりの説明で相手に伝えられていない。
・抽象的・複雑な言葉の理解ができない。
・言葉の使い方がおかしい。
・質問に対して、答えがおかしい。
・会話のキャッチボールができない。
(相手による 自らしゃべれない)
・雑談ができない
上記のことで「コミュニケーション・会話」ができないことに気づいた。
私の中では「今まで、出来ると思っていたから。」
コミュニケーション・会話ができないことにより、周りから、以下のことが言われるのです▼
・お前は日本人かっ! 外国人だろ?
・日本語勉強しろっ!!
・会話の勉強をしなさい。
・何を言っているかわからない。
・会話を楽しみなさい。
上記のこと以外にも、上げたらキリがない程、いろいろと言われました。
「コミュニケーション・会話」ができないことにより、対人トラブルを起こしてしまうのです▼
・言葉遣いで相手を怒らせてしまう。
・相手との意思疎通できない。 わからない。
・会話内容がかみ合わない。 言われたことを勘違いする。
・雑談・打ち合わせの話の内容がわからない。
(突然、振られてもわからなくて、答えられない。)
・わからないことがあったら、聞いてと言われても、「(わからないこと)が分からない。 当たり前のことを聞く」
・わからないことを聞き返すと、「もういい」「めんどくさい奴」と言われる。
(理解力に劣るから 1から10まで説明しないとわからない)
・話した内容が理解できない。 相手に「話を聞いていない」と言われる。
(ワーキングメモリが弱いから。)
コミュニケーチョン・会話ができないことにより、相手とのトラブルが多くなったのです。
社会人になってから、私は「理解力」がないことに気づきました。
更に理解力に劣る(抽象的・複雑な言葉の理解力)のとワーキングメモリが弱いことで、以下の事が言われました▼
・理解していないんでしょ。
・理解する努力をしていないお前が悪い。
・話を聞こうとしない。
・あさっての方向を向いている。 話が上の空。
コミュニケーション・会話ができない・理解力・ワーキングメモリが弱いことにより、対人とのトラブルの悪循環が生まれてしまったのです。
つまり、他人と接すると、必ずトラブルが起きるのです。
社会人の私は▼
・仕事できない。
・コミュニケーション・会話できない。
・話を聞かない。
・常識知らず 世間知らず。
周りから上記のイメージがついてしまい、「不真面目」・「馬鹿」のレッテルが貼られてしまったのです。
社会人になって、私の中では以下のギャップの違和感が生まれたのです▼
・学生時代、先生からは「真面目」
・社会人になってから、周りに「不真面目」「馬鹿」
私は「障害の疑い」があるのを知らずに上記のギャップの違和感の苦しみが続いたのです。
私が「障害」を知ったのは、親に告げられたのがきっかけだった。
親に「障害の疑い」が告げられる。
社会人となってからは仕事でもトラブルが続き、「学生」と「社会人」のギャップの違和感に苦しみの日々が続いていました。
20歳を過ぎた頃から、プライベートでもトラブルがありました。
それがお父さんの家族ルールの変更によるトラブルです。
家族ルールの変更によるトラブル▼
学生時代
・家族共有の食材・雑貨品・食器類などの物は使用してよかった。
社会人になってから
・お金を稼いでから、食材・雑貨品・食器類のものは自分で買うこと。
(使う場合は聞いてから許可を得ること)
当然、ルール変更が分からずに「食材・雑貨品・食器類」などのものを勝手に使用して、父さんに頻繁に怒られていました。
この時、私の中では▼
家の物は家族で共有して、使うでしょ。
父さんの中では▼
お金を稼いでいるのだから、使う物は自身で購入。
家の物は勝手に使うな!
上記の通り、私は他人との相違トラブルがあったのです。
「他人との相違」トラブルに私は気づかなかったのです。
父さんが怒っても、私の中では▼
・怒っている内容の意味が分からない。
・物に使用人の名前を書かないと、何を使っていいか分からない。
(言わないないと、分からない。)
父さんが上記のことを感じたのか、怒って時についに衝撃の一言が伝えられたのです▼
小さい時に「障害の疑い」があって、特別支援クラスに入りそうになったんだ。
衝撃の一言で告げられた私は「ショック」がありました。
告げられたことで「学生」と「社会人」のギャップの違和感の正体が段々とわかるようになった。
親に「障害の疑い」を告げられる前に2011年頃には「発達障害/ADHD /アスペルガー症候群」がメディア注目されるようになりました。
メディアに注目されることもあり、私は薄々、「障害なのではないか」と感じた事があったのです▼
・2011年頃には「発達障害/ADHD /アスペルガー症候群」がメディアに注目され、症状が私にあてはまることがあった。
・「発達障害/ADHD /アスペルガー症候群」をネットで調べると症状があてはまる箇所がある。
「障害の疑い」が告げられた以降は、親は地域発達障害支援センターに行って相談し、発達障害専門の病院に診断することになります。
まとめ 親は子供が「障害の疑い」を把握している。
いかがでしょうか。
「障害の疑い」をネット、メディアだけでなく、親が「障害の疑い」を把握しているケースあると言うこと。
私のケースだと、親が「障害の疑い」を把握していたのは事実です。
私のケースじゃなくても、親に相談するのもひとつの手段です。
私の場合はネット・メディアだけではなく、親に告げられてから、その後、相談しました。
この記事は「私が大人になって障害にどうやって気づいたのか」を書いた記事です。
更につづくのです。